「こんなところに ナニコレ2!」

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11.川和富士浅間大社石祠

名称 川和富士浅間大社石祠
種類 生産神
設置住所 横浜市都筑区川和町2338
移転経緯 港北ニュータウン開発工事に伴い、1982(昭和57)年7月旧川和富士塚頂上より、川和八幡宮境内に遷置された。
建造者 旧川和富士塚の建造は近隣富士講中により
1860(万延元)年から1887(明治20)年4月までの27年間を要して築づかれた。 
建造年 旧富士塚構築開始 1860(万延元)年、完成 1887(明治20)年4月       
浅間大社祠・浅間大神碑を1977(昭和52)年7月 川和八幡神社境内に遷置
建造の狙い
由来 江戸時代に興った山岳信仰の一つである富士山信仰で、富士講を作り交代で登山して
参拝する風習が流行した。一方、経済的理由などで、実際に富士山に登れない多くの庶民が、富士山に似た塚を築き、そこに登って富士を礼拝すると、実際に登ったと同じご利益を授かるとした講が大流行した。 当時には、江戸を中心に多くの富士塚が築かれた。

なお、旧川和富士は1978(昭和53)年に消滅したが、住民の要望により川和富士公園内に再構築され、今日に至っている。(政・教分離法の為、市営公園内には神社仏閣等の設置は許可されない)
川和八幡宮境内に遷置された旧川和富士浅間神社石祠 旧川和富士頂上にあった浅間大神

12.戦没者記念碑

名称 戦没者記念碑
種類 記念碑
設置住所 横浜市都筑区川和町2338
川和八幡神社境内・日清・日露戦役・日中事変・大東亜戦争戦没者記念碑

横浜市都筑区佐江戸町2032
佐江戸杉山神社
港北区新羽町2586

西方寺駐車場内 日露戦役記念碑(元帥 乃木希典 筆) 境内・日清・日露戦役・日中事変・大東亜戦争戦没者記念碑
移転経緯 当初からこの場所に建立された。
建造者 川和八幡神社境内記念碑:川和地区関係村村民代表
建造年 1901(明治34)年12月

佐江戸杉山神社記念碑:佐江戸町内会
1960(昭和35)年3月建立
        
新羽町西方寺境内祈念碑:
1901(明治34)年4月

建造の狙い 戦死者を弔い、名誉を永遠に記念するため。(建立当時は富国強兵の時代であった)
由来 戦争で国のために命を捧げた将兵を鎮魂し、その名を永遠に記念し、戦争の惨禍を歴史に残す。
日清戦役戦没者記念碑 (川和八幡神社境内)

13.青面金剛主尊の庚申塔

名称 青面金剛主尊の庚申塔
種類 庚申塔
設置住所 横浜市都筑区川和町2388(八幡神社)
移転経緯 港北ニュータウン開発によって都筑区のどこかから移転したと考えられるが、記録も見付からず。
建造者 不明
建造年 不明 江戸時代後期か?
建造の狙い
由来 青面金剛主尊の庚申塔です。日月瑞雲 六臂(手)<持物 三叉鉾、宝輪、矢、弓>合掌、二鶏、邪鬼、三猿典型的な庚申塔です。でも三叉鉾?手の形などがちょっと違っています。
三叉鉾のように見えるが、十字架を持っているように見える。三叉鉾では棹が短い、胸の前の両手は、合掌でなく、祈りの形であることから十字架であると考えられる(隠れ切支丹を研究している方のお話)

十字架と庚申塔
ネットで検索すると下記のような十字架と庚申塔の例があります。隠れきりスタンは九州地方が主なところと考えていましたが、関東でも例はあります。隠れきりスタンの偽装ということであるなら、あまりにも堂々と十字架を表しています。
(参考)
裏:十字架と庚申塔 : 世田谷 玉川村名所物語
https://marukokawa.exblog.jp/2669103/
隠れキリシタンと庚申塔
https://ameblo.jp/deadoc3886/entry-12638106424.html
キリシタンの庚申塔か?
http://sekibutu.blog.jp/archives/1761097.html
隠れキリシタンの庚申信仰偽装
http://asagiri.webcrow.jp/blog%20post-8-5.html
民間信仰の証 庚申塔(こうしんとう)
https://www.ku-hibino.com/entry/2016/03/03/042842
青面金剛主尊の庚申塔 
青面金剛主尊の庚申塔(拡大)十字架?

14.浅間神社石碑

名称 新富士 浅間神社石碑
種類 神神社石祠(池辺富士)
神社石祠(新池辺富士
設置住所 横浜市都筑区池辺町2716(新池辺富士・都田中学校の裏山)
横浜市都筑区池辺町1550(池辺富士)
移転経緯 移転なし
建造者 池辺町冨士講
建造年 不明
建造の狙い 富士山信仰講
由来 不明
新池辺富士塚頂上の浅間神社石塔
本富士塚は、現存都筑富士塚には、何故か入っていない

15.青面金剛庚申塔

名称 青面金剛庚申塔
種類 庚申供養塔
設置住所 横浜市都筑区池辺町2940
移転経緯 道路拡張整備に伴い宅地脇に移転 移転年月日等不明
建造者 數澤、池辺、星谷、中山他村長名の刻字あり
建造年 1727(享保12)年10月吉日
建造の狙い 集落への悪病の侵入を止め、集落の平穏と住民の無病息災並びに、五穀豊穣を祈願して建立した。
由来 不明
青面金剛の解説
六臂(手が六本)向かって右手に上から宝輪・弓・ショケラ(人像)を、左手に三叉鉾・矢・宝剣を持つ。邪気を踏みつけ、二鶏(雄・雌)、三猿(聞かざる、言わざる、見ざる)あり。  上部には、日輪(太陽)、月輪(月)あり。 写真は典型的な青面金剛の庚申塔である。

写真の青面金剛は、ショケラを持っており、また、頭の後ろに頭光があるのが非常に珍しい。青面金剛は、庚申講の本尊として知られ、三尸(さんし)を押え神とされる。             
(三尸とは、人の体内に住む三種類の悪い虫のことで、古代中国道教の教え)
 
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