「こんなところに ナニコレ2!」
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名称 |
六地蔵(心行寺) |
種類 |
地蔵菩薩 |
設置住所 |
横浜市都筑区荏田東四丁目10-1 浄土宗心行寺 |
建造者 |
心行寺 |
建造年 |
1993(平成5)年 |
建造の狙い |
六道における苦しみを救うため |
由来 |
六地蔵とは 仏教では人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く先が地獄、餓鬼(がき)、畜生、修羅、人間、天の六道(りくどう)に分かれるとされていますが、その分かれ道が「六道の辻」である。六地蔵はそれら六道における苦しみを救う6種類の地蔵菩薩のことを指します。
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名称 |
堰の元地蔵尊(子育地蔵) |
種類 |
地蔵菩薩と庚申塔(こうしんとう) |
設置住所 |
横浜市都筑区茅ケ崎中央56
都筑区南北ウォークの南に位置し早渕川の脇にある。 |
移転経緯 |
庚申塔は、もと正覚寺の裏手にあったものを現在の地に移転したと記されている。
「総高98cm・寛政12年庚申歳(1800年)」 |
建造者 |
不詳 |
建造年 |
1723(享保8)年
庚申塔(こうしんとう)1800(寛政12)年 |
由来 |
通称「堰のお地蔵さん」と呼ばれてきた。この辺りに早渕川から取水をする堰があったので堰の地名が付いたとのこと。地蔵菩薩は、お釈迦様が没したのち、弥勒仏が出世するまでの無仏世界において、この世に現れてすべての人間を救うことを仏に委ねられた菩薩である。お姿は、僧形で左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持つ。また、「子育地蔵」とも呼ばれ、24日は地蔵縁日として、仏前に花や果物を供えて祀り、お宮参りや七五三のお参りの際に家族一同で参詣するなど、土地の人々の信仰を集めていた。総高2m7cm ・享保8癸卯天<みずのとうてん>(1723年)
(地蔵菩薩の左にある石碑より引用) *干の癸は陰の水、十二支の卯は陰の木
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*石碑 |
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名称 |
オシャモジ様(咳の神) |
種類 |
五輪塔残欠(自然石三個) |
設置住所 |
横浜市都筑区茅ヶ崎中央58 池田次郎吉家内 |
移転経緯 |
横浜市都筑区茅ケ崎町2255番地⇒現在地(茅ヶ崎中央58) |
建造者 |
不明 |
建造年 |
年代不明 |
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名称 |
学童疎開の碑(心のふる里ここにありき) |
種類 |
石碑 |
設置住所 |
横浜市都筑区茅ヶ崎東 3-12-1 正覚寺 |
建造者 |
かつての疎開児童だった坂本満氏(八王子市立散田小学校の校長) |
建造年 |
1973(昭和48)年12月 |
建造の狙い |
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由来 |
第二次世界大戦末期の昭和19(1944)年に、横浜市神奈川区の子安国民学校の学童 が正覚寺に疎開した。 世の中が落ち着いてから当時の学童がこの寺に集まるようになった。のちに八王子市立散田小学校の校長になった坂本満氏らにより設置された
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学童疎開の碑
石碑の字 心のふる里ここにありき
昭和19年8月 横浜市立子安小学校 学童集団疎開之地
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正覚寺全景 |
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名称 |
庚申塔(正覚寺) |
種類 |
庚申塔 |
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駒型浮彫立像 ウーン 青面金剛 日月瑞雲 一面三眼 六臂 ショケラ 邪鬼 二鶏 三猿 |
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(持物 |
右 宝輪 弓 ショケラ
左 鉾 宝剣 矢 |
(刻銘) |
奉造立 庚申 供養諸願成就所
講中敬言 |
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設置住所 |
横浜市都筑区茅ケ崎東3-12-1 正覚寺 |
移転経緯 |
正覚寺奥の尾根→茅ヶ崎城址入口→正覚寺門内 |
建造者 |
武刕茅ヶ崎村
岸清左衛門 同浅右衛門 同安左衛門 同甚兵衛 同左発右衛門 同平右衛門 松本喜右衛門 米山又右衛門 田中庄右衛門 同三良左衛門 同四郎兵衛
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建造年 |
1719(享保四己亥)年10月21日 |
由来 |
これはこの近隣では最も大きい塔身を持つ庚申塔である。
この庚申塔はローソク屋と呼ばれる田中達夫家などの五代前の先祖たちが、品川台場から講中交代で担いできたとの言い伝えがある。(港北の遺跡をたずねて)
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