工場外観都筑区東方町188にある山崎製パン(株)横浜第二工場(左)を、2人で訪問してきた。ヤマザキの名が通っているが、正式には山崎製パンである。

受付で来意を告げると、総務課の方が車を誘導してくれた。そのうえ、靴箱には訪問者2人の名前が貼ってあり、「行き届いている会社だなあ」と、感嘆。

総務課の村尾さん・斎木さんと生産統轄の和田さんが、取材とライン見学につきあってくださった。途中から植田工場長も加わってくださり、話がさらに盛り上がった。


  小麦粉と引き替えに焼きたてパンを

会社の創業は1948(昭和23)年。千葉県市川市で飯島藤十郎氏が、「小麦粉と引き替えに、焼きたてパンをあげましょう」ということで始まった。

敗戦後3年足らずの小麦粉が自由に手が入らない時期に、焼きたてパンを作ろうとした創業者の心意気に感心してしまった。米すら満足に食べられないときに、パンという発想が素晴らしい。

「創業者は山崎という方だと思いこんでいましたが、飯島さんなんですね」の疑問に、「創業者の妹さんの名前が山崎です。未亡人になった妹さんの苗字を使用することで生活の基盤を作ってあげたそうです」と村尾さんから明快な答えが返ってきた。

工場分布市川で産声を上げた会社は、1962(昭和37)年には本社を東京に移転。今は北海道の札幌から九州の熊本まで、日本全国に25もの工場、2つの冷生地事業所、30の営業所をかかえるまでになった。製パン業としては、日本一のシェアと売り上げを誇る。左は関東地方の工場と営業所。(ヤマザキの会社案内から引用)。

国内ばかりか、香港・タイ・台湾・シンガポール・上海・マレーシア・フランスのパリ・アメリカのカリフォルニアにも進出している。

主食がパンのフランスやアメリカにまで、日本のパンを作る工場があることに驚いた。


     横浜第二工場の生産品目は600品種 

訪問した横浜第二工場の稼働は1976(昭和51)年である。まだ都筑区が誕生する前のことで、たまたま第二工場1期生だった植田工場長によると「周囲は田畑が多くて、のんびりした所でしたよ」。

工場と付随する静岡営業所との販売エリアは、横浜・川崎・町田・相模原・静岡。このエリアにあるスーパーマーケット、コンビニの5,500店舗に、毎朝出荷している。

従業員はおよそ1,500名で、900名が正社員、600名がパートやアルバイトである。「従業員はなるべく地元から採用しています。これも地域への貢献と考えています」と村尾さん。

パンの種類工場の生産品目は600品種もある。消費者のニーズが多様化している今、ほとんどが機械化されている工場だからこそ、ニーズに応えることが可能なのだ。

600種の生産ラインは、次の15部門に分かれている。

食パン・菓子パン・スナックスティック・ミニアンパン・ランチパック・VEMパン(手作りの良さを活かした専門店向き)・ペストリー・ハードロール・和生菓子・洋生菓子・カステラ・パターラ・シュークリーム・スイスロール・チルドデザート。

左は、社内においてある生産品の一部。



    たくさん作るから製品が安定化する

一般的な話を聞いた後に、食パンや菓子パンを作っているラインにお邪魔した。食パンの工程は次のようになっている。

ミキサー(小麦粉と水とイーストをまぜてパン生地をこねる)→発酵(27度で発酵させる)→ミキサー(砂糖・塩・ミルク・マーガリンかバターなどをいれて再度こねる)→20〜30分間寝かせる→デバイダー(同じ重さに分ける)→ラウンダー(形をととのえて丸くする)→中間発酵→モルダー(生地を伸ばして巻く)→最終発酵→オーブンで焼く(200度から220度で30分ぐらい焼く)→型抜き→クーラー(90分間冷却する)→スライサー(薄く切る)→ラッパー(パンを包む)

デバイダー 最終発酵 焼き上がり
デバイダーで、パン生地を同じ重さに分けている。 最終発酵後のパン生地が型に入っている。 オーブンで焼き上がったパン


パン生地が香ばしいパンになって焼き上がってくる工程は、見ているだけで面白い。機械化された流れ作業の工程にも目を見張ってしまう。機械化しているが無人ではない。その日の温度や湿度によって微妙な調整が必要なので、常に作業員が見守っている。

なかでも、小麦粉600キログラムの生地を一度にこねるミキサーは圧巻だ。膨大な量の小麦粉が、薄い膜がはったパン生地になる。「自宅や小さなパン屋さんのミキサーでは、こんな風に均一にはできないだろうな」と思った。600キログラムの小麦粉から1200斤の食パンができる。ミキサーは最新鋭の機械を使っているので、写真撮影は出来なかった。

スライサーに関して面白い話を聞いた。関東は6枚切りが、関西では5枚切りがよく売れる。8枚切りのパンは関東にしかない。関西地方の人は、厚いパンが好みだという。醤油味噌などの好みが関東と関西で違う話は聞くが、パンの好みまで違うとは思いもよらなかった。

原料の小麦粉は、遺伝子組み換えをしない・農薬を使わないものを、アメリカとカナダから輸入している。特にカナダ産の小麦粉は、タンパク質が伸びる性質を持っているのでパン作りに適している。日本の小麦粉はうどんには向いているが、パンにはあわないという。「パンは生きている」ということを実感した。

「同じ食パンでも値段に差があるのはなぜですか」と聞いてみた。「小麦粉の等級とバターを使っているかマーガリンを使っているかなど原材料の違いによります」と和田さん。

     食の安全と安心を求めて


完全防備私たちが社内に入るには、靴を履き替えキャップを被らねばならなかった。取材に応じてくださった和田さん・村尾さん・斎木さんも、頭から耳まで覆っている(左)。

生産ラインを見学する時には、さらに白衣を着用して、集塵器を使って細かい埃や塵を排除した(左下)。

食品を扱う会社だから、ある程度は予想していたが、これほどまで衛生管理が徹底しているとは思わなかった。

全国で異物混入や食中毒など食品事故が続発した2000年頃から、「食の安全と安心」に対する消費者の関心が、非常に高まっている。

埃とり都道府県独自の条例が作られ、神奈川県の規制も厳しくなった。保健所から「外気に触れないゾーンを作るように」と指導され、工場も設備の改善に努めた。

JIB(日本製パン技術研究所)も、2001年にフードセーフティ部を設立して、AIB(アメリカの製パン研究所)のフードセーフティの指導・監査システムを取り入れた。

AIBのシステムは、「小麦粉が蓄積する機器の清掃頻度はなぜ最低1ヶ月なのか」の問いに「小麦粉を補食する昆虫の世代交代の期間が1ヶ月だから」と答えるなど、作業基準の設定が解りやすく取り組みやすい。



     地域への貢献

この工場が稼働したのは30数年前である。都筑区にある事業所としては歴史が古いこともあり、地域への貢献は群を抜いている。

○従業員の90%を地元から採用している。

区民祭事務局の一員になり、当日はブースも出店する。

○従業員の慰安のためにはじめた納涼祭は、今は地域住民の夏祭りにもなっている。納涼祭を待ち望んでいるおよそ2,000名の地元民が参加。

「都田江川水辺愛護会」に属していて1ヶ月に1度、川の清掃や除草に参加。水再生センターの水が流れている江川は、区内に2ヵ所ある。佐江戸付近を流れるせせらぎについては、パナソニック訪問記事でとりあげた。この工場の傍を流れる江川は、桜とチューリップの饗宴で有名である。訪問したのは4月半ば。桜は散っていたがチューリップがきれいだった。

○開催中の「開国博Y150」の協賛企業にも真っ先に名乗りをあげた。日韓共催ワールドカップのときも、ヤマザキのパンやジュースをプレスセンターに無料で提供した。

○従業員組合が集めたお金を毎年社会福祉協議会に寄付をしている。今年1月に区長から表彰された。

江川のせせらぎ 協賛 表彰
清掃などに参加している江川のせせらぎは、チューリップがきれいだった。 開港150年の記念事業をサポートしている。 区社会福祉協議会へ寄付が贈られた。左が植田工場長。(写真はタウンニュース社提供


訪問していちばん印象に残ったことは、「食の安全・安心」が工場長以下、アルバイト従業員にいたるまで、徹底していることだ。「こんな工場で生産されているものなら、安心して食べられるわ」と思いながら後にした。(2009年4月訪問 HARUKO記)

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