横浜市歴史博物館の学芸員・高橋健さん(42歳)を訪問してきた。交流ステーションでは、8年前に施設訪問で横浜市歴史博物館(以下歴博と記す)を取材している。

このときは、学芸員の具体的な仕事は聞かなかった。何人の学芸員がいるかも知らなかった。

今回分かったのだが、学芸員は分野ごとに、原始2人、古代2人、中世1人、近世2人、民俗2人、写真1人と10人もいる。高橋さんは、原始時代つまり考古学専門の学芸員だ。

高橋さんに話を聞いてみたかった理由は次の項で記すが、3時間のインタビューは爽やかに終始した。

今までの「ひと訪問」の写真は正面ばかりだったが「正面じゃ面白くないでしょう」のひとことで、少し横を向いた顔を撮影。カッコいい!


わが家の下に遺跡がある!?


2013年10月5日、都筑図書館主催の「わが家の下に遺跡がある!?」という高橋さんの講演会を聞いた。「つづき再発見」と副題にあるように、旧住民も新住民も”つづきの魅力”を見直してみようという企画である。

企画者のひとり、TMEK(都筑図書館から未来を描く協働の会)の草野さんは「近くに茅ケ崎貝塚橋があるんですよ。どうしてこんな所に貝塚が?と疑問に思い調べたところ、都筑区は遺跡だらけなんですね。わが家の下に竪穴住居がある人もたくさんいるわけです。それでこのタイトルで講演をお願いしました」と語る。

盛んに発掘していた頃を知っている私には、遺跡だらけなのは百も承知なのだが、知らない人が多くなっている事にあらためて気づかされた。

ちなみに、ニュータウン内で調査対象となった範囲の遺跡は268埋蔵文化財センターを訪問したときに「区民は遺跡の上に住んでいる」という記事を書いた。都筑区全体の遺跡地図は、この中に載せているので、クリックして欲しい。

講演の後に、グループに分かれてのワークショップ。自分が今住んでいる家の下に、遺跡はあるのだろうか?参加者は、わくわくしながら「全遺跡調査概要」や「ニュータウン調査報告」と自分の住所を突き合わせてみた。

有名な遺跡の上に住んでいる人もいれば、貝殻数個や土器数片しか見つからなかった地に住んでいる人もいた。でもグループでワイワイやりながらの作業は楽しかった。高橋さんは、精力的にグループに入りこんで、親身に報告書の見方を教えてくれた。

この時に高橋ファンになった人は多いと思うが、私もそのひとり。考古学を専攻したきっかけを知りたくなった。


 若いころは官僚になりたかった


「考古学に興味を持ったのは小学生のころですか。小さい時に土器のかけらや矢じりを拾っていた考古ボーイだったのではありませんか」と、決めつけるような質問をしてしまった。

「残念ながらそんなストーリーはないんですよ。父親が転勤族だったので、生まれたのはフィリピンだしイランで暮らしたこともあります。イランにいたときに、釉薬のついた土器のかけらを拾ったこともありますが、だからと言ってこれがきっかけではありません」

「実は、官僚になりたくて東京大学の法学部に入学しました。でも西洋法制史のゼミを受けている時に、感じたんです。ラテン語のテキスト(英語訳)を掘り下げていたのですが、人が決めたこと、人の考えに迫るだけでした。プロセスは面白かったし活発な議論は刺激になりましたが、僕は、物に基づいた形がある学問をしたくなりました。考える作業をする時に自分が魅力を覚える対象として、考古学にいきついたんです」

「法学部を卒業しても官僚にもならず就職もせず、文学部の歴史文化学科に学士入学。修士課程、博士課程と進み、研究員として3年間、助教として2年間、東京大学で過ごしました」


 銛などの骨角製狩猟漁労具の研究


「北海道の常呂(ところ)や網走のモヨロ貝塚など、オホーツク沿岸に関する研究論文をたくさん発表していますね。どうして常呂なんですか」と聞いてみた。

北海道の北見市常呂町には、1973年に設置された「東京大学文学部付属北海文化研究常呂実習施設」がある。歴博に就職する前の高橋さんは、常呂のこの施設で研究をしていた。

東京大学と常呂町とのかかわりは、60年近くなる。1955(昭和30)年、常呂在住の考古愛好家・大西信武さんが、東大考古学研究室の駒井教授を常呂遺跡に案内したことに始まる。翌年1956(昭和31)には東大の考古学研究室による常呂遺跡の発掘が始まった。

今は常呂実習施設 常呂資料陳列館も併設され、北東アジア考古学研究の拠点になっている。

東大で考古学を学ぶ学生は、常呂での実習が義務付けられている。高橋さんも常呂で発掘にたずさわるうちに、本州とは違う北海道独特の遺跡に魅せられていった。左は常呂にいたときに訪れたロシアのサハ共和国での写真。

高橋さんの専門は「骨角製狩猟漁労具の研究」で、特に銛(もり)という漁労具にくわしい。オホーツク沿岸の遺跡からは、いろいろな種類の銛が発掘されている。

私たちが住む横浜の遺跡からも、骨角製の道具が発掘された。都筑区の南堀貝塚からはシカの角でできたモリが1点(写真の左側)、海に近い金沢区の称名寺貝塚からは、シカの角や骨でできた銛やヤス(写真の右側)がたくさん見つかっている。

これらは、歴博の常設展示室で、目の前で見ることができる。



 市民と関わりたかった


2010年に横浜市ふるさと歴史財団(歴博、開港資料館、三殿台考古館、ユーラシア文化館など横浜の歴史関係の施設をまとめて管理する財団)に就職した。研究も好きだが、市民と接点を持ちたかった高橋さんにはやりがいのある職場だ。

「ここでは、市民とふれあう機会がとても多いんです。校外学習で見学にくる小学生からはハッとさせられる質問も出るし、高齢者の中にはよく勉強している方もいて刺激になります。土器づくりの会や、ガイドの会のみなさんとの出会いも楽しいですよ」

「ラストサタデープログラム」では、文字通り最終土曜日に学芸員が交代で常設展の説明をします。6部門に分かれているので、僕が担当する原始TUは年に2回ですが、40分間のレクチャーをみなさん飽きずに聞いてくれます」。左は貝塚や狩猟具を説明している高橋さん。


年に1度の博物館感謝デー(左)は、常設展示室と企画展示室の両方に無料で入室できる。それだけではない。ラストサタデープログラムの拡大版ともいえる通史展示ガイドツアー、破片から土器を完成させる土器パズル、縄文時代にも編んでいた「あじろ編み」の実習など、歴史を肌で感じてもらおうとする企画がもりだくさん。

1階のホールで行われる落語、大道芸、紙芝居、おはなし会なども毎年、子どもばかりか大人にも好評だ。


数十年前の博物館といえば、見学者はガラスの中の展示物を眺めるだけだった。今は目の前で石器や骨角器や土器を見ることができる。それを使っていた何万年前の人たちの会話まで聞こえてきそうだ。おまけに、土器や土偶づくりの体験までできる。

こんな楽しい博物館に足を運ばないでどうする!という気持ちになってくる。「区民への要望はありますか」と聞いたところ、高橋さんの答えも「博物館に遊びに来てください」だった。


 趣味はパントマイム


「最後にお尋ねしたいのですが、趣味はなんですか」

「学生時代から大道芸に興味があったので、長い事パントマイムをしています。6月には、東京の西日暮里で公演します。あのヨネヤマママコさんも出演されますよ」

ヨネヤマママコさんは、日本のパントマイマーの草分けで今なお活躍している。

考古学者と大道芸の組み合わせが意外だったので、一瞬ぽかんとしてしまったが、「わが家の下に遺跡がある!?」の講演やワークショップでの親しみやすくて軽やかな行動を思えば、納得がいく。

左写真は、1月の博物館感謝デーのときに披露したパントマイムの大道芸。考古学のレクチャーをした人と大道芸の人が同じだと知ったら、観客はもっと喜んだに違いない。

私も感謝デーに行ったのだが、見損なった。知っていたら絶対に都合をつけたのにと、今でも残念に思っている。    
                      (2014年1月訪問 HARUKO記)

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