交流ステーションのメンバーで、横浜都筑AC(ランニングの会)にも属しているOさんが「マスターズの世界大会で優勝したことがある素晴らしいランナーがいるよ」と紹介してくれた。

そのランナーが、高原良祐(りょうすけ)さん(78歳)。待ち合わせ場所に現れた引き締まった敏捷そうな身体と日焼けした顔(左)を見れば、すぐ一流アスリートだと分かる。

今日のためにわざわざ着てきてくれた白シャツの胸には、東京オリンピック招致のマークがついていた。「高原」という刺繍入りシャツ(後述)を支給されたほどだから、ネームバリューは推して知るべし。

いただいた名刺は2枚。「横浜市都筑区陸上競技連盟の会長」と「都筑区体育協会の副会長」。

体育協会と陸上競技連盟(以後、陸連と記す)の違いの説明から始まり、いつものごとくインタビューは2時間を超えたが、その間、笑顔を絶やすことはなかった。


 校内マラソンがきっかけ


「陸上を始めたきっかけはなんでしたか」

「福岡県築上郡吉富町の中学2年のとき、校内マラソン大会で優勝しました。それで陸上部に誘われたんです。以後、中学、高校、大学と陸上部中心の生活を送りました。あ!勉強もしましたよ」と高原さん。

左は、築上郡内の第1回中学駅伝競走に出場したメンバー10人の写真。後列左から3番目が高原さん。

「高校時代にオール九州の1500mで優勝したことで、中央大学から誘いがありました。当時の中央大学は箱根駅伝6連勝中で強かったんです。箱根駅伝は10名しか出られないのに、部員は100名。僕も出場はできませんでした」

出場できなかったとはいえ、毎日2時間から3時間走りこむ練習。良い指導者や仲間に恵まれて楽しかった思い出しかないという。大学の専攻は法学部法律学科。文字通り、文武両道の大学時代を送った。

大学卒業後は、メーカーに就職。サラリーマンになっても、走ることは止めない。

「僕が入社してから会社に駅伝部を作りました。会社のロゴを入れたゼッケンも作ったんですよ。でも主体はあくまで仕事でしたから、また走り出したのは定年後です」


 スペイン大会で優勝!!


左は、2005年の「世界マスターズ陸上選手権スペイン大会」で金メダルをもらったときの写真。事前に「写真を数枚お借りしたい」と頼んでおいた。

「あらためてこの写真を見たけど、8年前は70歳。まだ若かったね」と感慨深げ。

マスターズ陸上は、男子35歳、女子30歳以上が参加できる大会で、5歳刻みの区分で競う。

高原さんは、2000メートル障害物70歳からの部で、全日本マスターズ優勝。世界マスターズに参加する資格を得て、いきなり世界で金メダルをとった。

世界マスターズは、スペインの次の2007年イタリア大会にも参加したが、この時は2位。しばらく休んでいたが、今年9月の全日本マスターズで良いタイムが出れば、10月のブラジル大会に出場するそうだ。

「参加費はすべて自腹だから、年金生活者には痛いですよ。ブラジルは遠いので身体的にもきついですが、頑張りたいですねえ」と目を輝かす。10月の快挙を都筑区民みんなで心待ちにしている。ガンバレ―!!

「ところで障害物競争は、学生時代には経験してませんよね。ハードルを越えたり、水濠を抜けるのは、コツが必要だと思います。指導者はいたのですか」


「独学です。テレビに映る一流の若い選手をじっくり見て研究しました。”技は盗め”ですよ。でもあくまでも走ることが基本。都筑のランニングクラブ(横浜都筑AC)で毎週土日には15キロから20キロ走りこんでいます。他に、陸上部のコーチをしている中川西中の生徒と一緒に、朝夕週に3日は走ります」

「極端なことを言えば、”走らない日はない”ということですね」

「まあ、そうですね」

左は、2010年、75歳からの部で全国優勝したときの写真。このときは、「スポーツ報知」が、70歳を超えてトラックを爆走している高原さんなど2人を特集した。スポーツ報知のプロカメラマンによる撮影なので、力走ぶりがよく写っている。

ちなみにこの時75歳の記録は9分17秒。70歳の時は8分28秒だった。タイムは遅くなったが、1番になりたい気持ちはずっと持っている。「この気持ちがなくなったらお終いですから」とサラリとおっしゃる。



 スポーツ心臓


「中高年になっても走り続けるためには、どうしたらいいですか」

「僕のように、若い時から走っているとスポーツ心臓を持っています。脈拍数が普通の人より少ない。ある程度走ると人並みの脈拍数になります。毎日運動することで、誰でもスポーツ心臓になりますよ。長く続けるためには、毎日の練習です」

「運動しすぎで、膝や腰を痛めたりする話も聞きますが」

「それは、フォームが悪いからです。正しい姿勢で走れば、傷めません。現に僕は、医者知らずです。走った後の、整理運動も大事です。寝る前に、腹筋や背筋も鍛えていますよ」

筆者のように怠惰に過ごしていると、「とうていこんな生活はできない」とあきらめの境地になるが、高原さんはこともなげに、こなしている。だからこそ、体脂肪率13%の理想体型を保ち、マスターズで優勝できる力を保持できるのだろう。


都筑区陸連の会長 


高原さんが今の住まい(中川4丁目)に越してきたのは、1968(昭和43)年。港北ニュータウンの工事が始まる前のことで、新住民の中の最古参である。

最古参だけに、地域の陸上界とは古くから関わっている。1985年に設立された横浜都筑ACのメンバーでもある。横浜都筑ACは、毎週土日の午前中に緑道を走るランニングのグループ。練習するだけでなく、東日本駅伝や東京マラソンにも参加するなど活躍している。会員募集中。初心者歓迎だそうだ。

都筑区誕生と同時に就任した都筑区陸連の会長職は、非常に忙しい。都筑区陸連がかかわっている定期的な行事が3つもある。しかも、横浜18区の中で都筑区がいちばん盛況で、参加希望者は年々増えている。嬉しい反面、「緑道ランナーが多くなると、一般の歩行者に迷惑がかかる」と土木事務所からの忠告にも対応せねばならない。最近は、参加人数を制限せざるを得ない。

○ 2013年1月末の日曜日の駅伝大会には、283チーム(約1200人)が参加した。

○ 3月第2日曜のロードレース大会には、1279組、1616名が参加した。

○ 5月末の土曜日の三ツ沢球場での陸上競技大会には、主に中学校の陸上部の生徒約1000人が参加した。

次の写真は、今年2013年1月に行われた駅伝の様子。写真は横浜都筑ACの木村さんが提供してくださった。


葛ケ谷公園で
たすきを渡す

 

 緑道を駆け抜ける
ランナーたち

 
駅伝(男女混成の部)に
参加したあるチーム


なお2012年の駅伝は、交流ステーションの地域活動コーナーでも取材している。これもご覧いただきたい。


 2020年東京オリンピック招致


「そうそう、オリンピックの招致に協力してください。体育協会や陸連も一体になって応援しています。僕にもこういうシャツが送られてきたんですよ。東京のいちばんの弱点は市民の支持率なので、みなさんの賛成が必要なんです」と、高原さんは別れ際に話した。

左は、シャツの胸の部分を撮影。ちなみに、CANDIDATEは、立候補者という意味。

高原さんから、陸上にかける思い、0.1秒を縮めることの大変さ、選手同士の熾烈な争いを聞いた後だけに、一流選手の競技を生で見るチャンスは、とても貴重なことに思えてきた。

もうすぐ9月7日には、開催都市が決まる。東京に決まったならば、素直に喜びたいと思う。そしてオリンピックの華・陸上競技を楽しみたい。


             (2013年8月訪問 HARUKO記)


つづき”ひと”訪問へ
つづき交流ステーションのトップへ
ご意見や感想をお寄せ下さい