4年前に吉田区長から始まった「ひと訪問」は、今回の秋山満さん(82歳)で30人目。

魅力的な出会いに恵まれて、楽しい取材を続けることができた。気持ちよくインタビューに応じてくださった30人に、あらためて感謝したい。

秋山さんの名前はあちこちで拝見していたので、「地域活動に熱心な方なんだなあ」と漠然と思っていた。ある時、秋山さん著「フランス鉄道の旅 光人社  1998年出版」を読んだら、非常におもしろい。ぜひとも直接お会いしたくなった。

「旅行の資料や写真を拝見したいので、ご自宅に」とお願いして、牛久保東のマンションに伺った。3.11震災の時は北山田のララヒルズ9階に住んでいたが、エレベーターが止まり、大変な思いをした。

「これから足腰が弱くなるので、もっと低い階に住みたい」と探したのが今の住まい。3階のテラスからは緑道を見下ろせる。この角度からの緑道を初めて見たので、歓声をあげてしまった。

素晴らしい部屋でのインタビューは、秋山さんの丁寧な語り口とあいまって心地よいものになった。


 目をつぶっていても都筑の道は分かる


「目をつぶっていても都筑の道は分かります」と言う秋山さんだが、都筑区との関わりはそう古くない。10年前の平成15(2003)年に、東京の市ヶ谷から越してきた。

「真夏の都心のヒートアイランド現象に耐えられなくなり、緑に恵まれている場所に住みたいと、多摩ニュータウンと港北ニュータウンを見て歩きました。多摩は年寄が多いんですよ。それに比べ、港北は若い人が多く活気があったので選びました」

左写真は、牛久保東のマンションのテラスからの眺め。緑に囲まれた理想の住まいが得られたと、おっしゃっている。

「10年しか住んでいないとは思えないご活躍ですね。地域活動に入るきっかけは何だったんですか」

「区役所ホールでの、交流フェスタがきっかけです。”I Love つづき”が、交通事故が多い場所のマップなどを展示していたんですよ。地理の教師だったので、マップに興味があり入会させてもらいました」

以後、いろいろな会に関わるようになり、「目をつぶっていても道が分かる」ほど都筑の地理に精通するようになった。地理教師40年の秋山さんにすれば、フィールドワークはお手の物である。


 小学校の先生の一言


秋山さんは、東京高等師範学校(今の筑波大)で地理学を専攻した。授業料は無料のうえに、月に250円(昭和23年当時)も支給してくれた。その代わり、必ず教職につかねばならなかった。卒業後は、師範学校の先輩がいる私立の東京成徳学園に行くように、命じられた。

この時から75歳まで、東京成徳学園一筋で過ごした。冒頭の写真で秋山さんが着ているシャツには、「TOKYO SEITOKU UNIVERSITY」のマークがついている。東京成徳学園は、幼稚園から大学院まである(小学校はない)総合教育機関。65歳の退職後も、10年間は広報誌づくりや学園の沿革史編集を任された。「学園の生き字引」と言われている。

「高等師範学校で地理を専攻したきっかけは何ですか」

「小学校5年の時に担任の岡田先生が”おい秋山、ちょっと席をはずすから、黒板に日本地図を書いておいてくれ”と言ったんですよ。戻ってきた先生が”うまいなあ、これからも書いてもらうよ”と褒めてくれました。この一言で、今の僕があるんです」

 

担任の岡田先生に
日本地図を褒められた
小学校5年生のころ
 
 
昭和34年に自作の教材
桂川の河岸段丘が
文部大臣賞を受賞した

 
昭和35年から2年間
NHKの教育テレビで
人文地理の講師を務めた



教師時代には、農村の土地利用調査のために各地を回って写真を撮り、教材を作った。特に相模湖付近の桂川河岸段丘には、日曜ごとに3ヶ月間も通い、段丘の成り立ちや集落の分布や灌漑水路の状況を、52コマのカラースライドにまとめた。このスライドは、昭和34(1959)年の全国のコンクールで1位の文部大臣賞を受賞した。

教材として優れているばかりでなく、カメラワークやカラーの出し方など芸術的にも優れていると評判をとった。ちなみに、今も続く秋山さんの写真歴は22歳の時から60年にも及ぶ。

昭和35年から、NHK教育テレビの高等学校講座「人文地理」の講師を務めるようになった。生徒の身になっての教材作りや話し方は好評で、テレビ出演は2年間も続いた。

東京書籍や清水書院の高校の「人文地理」の教科書を、共同執筆したこともある。


地理教師を活かしてのボランティア


こうした経歴を持った方が越してきて、知識や経験を都筑区に還元してくれる。しかもボランティアである。これほど区民にとって有難いことはない。

都筑区水と緑の散策マップ作成検討会」では、区制20周年を記念し、新しい「都筑区水と緑の散策マップ」を作っているところだ5年前に作った散策マップ(左)情報はすでに古くなっているので、新情報を入れたり修正する準備をしている。

顧問をしている「都筑をガイドする会」では、青葉区や緑区や港北区を含めた旧都筑郡の散策コースを案内している。ガイドする会の会長・大橋さんは24回で訪問しているのでご覧いただきたい。

都筑アーカイブの会」では、都筑の風景・年中行事・イベント・神社仏閣・動植物にいたるまで、1年間を通してカメラにおさめて、アーカイブとして保存する手伝いをしている。町内会の祭りが重なる場合は、両方に顔を出すなど精力的に取材をしていて、撮りためた写真は膨大なものになる。

折本小学校3年生の総合学習の時間に、大熊川をめぐる水争いの歴史を話したこともある(左)。

「大熊川流域の地形を見て、不思議なことに気づきました。大熊川が、坊方付近で切れて池辺の方に流れているんです。川の浸蝕作用では、これだけの谷は出来ない。何かあるはずだと調べたら、江戸時代に池辺と東方の農民の水争いがありました。このように不自然な地形にはなんかあると考えることが楽しいです」

「子供たちに教えるのは慣れてますよね」

「でも高校生とは違いますから、小学生が習っている漢字を本を買って調べました。河川や水田や河岸段丘などの言葉が分かるだろうか。近所の3年生に聞いて、分かりやすい言葉に言い換えました。水田は分からないのですが、田んぼといえば分かるんです。でも子どもはカワイイです。これからも続けようと思っています」

どんな事にも、まったく手抜きをせずに関わっている真摯なお人柄が伝わってくる。


 海外旅行の自由化


若い人には想像もできないかもしれないが、だれもが海外に行けるようになったのは、昭和39(1964)年である。1ドルが360円の時代だ。

秋山さんの海外旅行歴は、ここから始まる。全国高等学校地理教育研究会主催の「西ヨーロッパ視察旅行」に参加した。

旅行の途中で団体と分かれ、オランダのアムステルダムからローマまでレンタカーで回ってきた。団体旅行さえ珍しいときに、レンタカーで個人旅行をなさったことに驚く。ハンドルは日本と反対だし、標識はもちろん現地の言語だから、とっさの判断に戸惑ったこともあった。

でもこの旅で出会った人々との触れ合い、慣れない土地での不安すらも良い思い出になった。これ以後個人旅行に魅力を感じ、夏と春や時には冬の休みを利用して、毎年のように世界に出かけた。渡航歴は数えきれない。

「モーターマガジン」に旅行記を連載したり、「写真と地図でみる海外旅行」(左)を出版した。写真が得意な秋山さんならではの、雪山の風景写真や人物スナップや名所旧跡が盛りだくさん。海外旅行がこれほど気安くなかった頃は、貴重なガイドブックになったことだろう。

お子さんが大きくなってからは、奥様との2人旅。現地では鉄道やバスを利用しての個人旅行である。

そんな2人の旅を綴った本「イタリア鉄道の旅 1997年」「フランス鉄道の旅 1998年」「ハンガリー・チェコの鉄道の旅 2001年」(下の写真)をいずれも、光人社から出版した。

秋山さんが自分で作図したマップや写真入りの旅行記だが、ありきたりの名所旧跡の紹介ばかりではない。

いちばん面白くてかつ役に立つのは、宿が取れなかった、バスに乗り遅れた、バスが来なかった、違う列車に乗ってしまった、似た名前の別の駅に降りてしまった、荷物を置き引きされた・・などの失敗談である。

失敗談ばかりでなく、費用の明細、鉄道の時刻表の見方、ホテルの取り方など、情報が満載である。お2人での個人旅行から10年以上過ぎたが、情報として古いことはない。これから個人旅行を計画している人には、参考になること間違いない。なおこれらの書籍は、都筑図書館で借りることができる。


 個人旅行のすすめ


「ありきたりの質問ですか、これまで回ってきた国でどこが面白かったですか。どこの国がおすすめですか」

「いやあ、どこの国かなんて答えられませんね。僕は、海外に限らず国内でもそうですが、”どうしてこんな場所に村が出来たんだろう”とか、”なぜ駅が中心から離れているのだろう”とか、”なぜこんな所に道路があるんだろう”など考えながら歩いているんです。考えた末に、その背景に歴史的事実が見えてきたりする。そこが面白いんですよ。それには時間を自由に使える個人旅行がお勧めです」

「でも語学の問題もあります。病気になったときの対応も困ります。費用もかかりそうです。個人旅行に踏み切れない人がほとんどではないでしょうか」

「言葉の問題ですが、僕は英語すら堪能ではありません。海外旅行の会話で大事なのは、尻込みせずに度胸をすえて話すことです。英語が通じないイタリアやフランスやスペインの田舎では、筆談やジェスチャーでしたが、通じるもんです。スリには、日本語で怒鳴ったこともあります」

左写真は、イタリアのタクシードライバーとイタリア語で交渉する奥様。秋山さんによれば「片言ですよ」

「幸い病気になったことはありませんが、保険は必ずかけます」

「費用は、ぜいたくな旅をしなければイタリア33日間でも1人が40万円ほど。10日間のツアーよりも安いぐらいですよ。航空運賃やホテル代は季節によって大幅に違いますから、定年後なら良い季節に格安の旅も可能です」

個人旅行は、出発前の準備の楽しさ(資料集め、ルートの検討など)、旅行中の楽しさ、旅行後の楽しさ(写真や資料の整理)と、3回も楽しさを味わえるんです」と、力説してくださった。

小学校以来好きだった地理に今なお関わっていらっしゃる秋山さん。「なんてお幸せな方だろう」と思いながら、マンションを辞した。

                             (2013年9月訪問 HARUKO記)

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