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そして今

講は存続 まさかの大どんでん返し

2013年8月28日、滝ヶ谷戸自治会館において、回り地蔵を新堂に安置したことの報告会を兼ね、講中の最後の集まりが開かれた。20軒中、18軒が参加した。

お堂の建設など、講中解散に向けてかかった費用の決算報告も滞りなくすみ、食事やお酒で場が温まってきたころ、突然、こんな意見が出された。
「可能なかぎり講中を続けて、次の代にあとのことは任すよと。そういう具合にするのがいちばんじゃないかな」

全員、とっさには意味が飲み込めず、場は一瞬、固まった。その後、一同、いっせいにどよめいた。
「何で今さら?」 
言うまでもなく、お地蔵さまはすでに新堂に安置したあとだ。 

が、発言の意図をよくよく聞いてみると、“お地蔵さまをもう一度回そう”というのではなく、講中のつながりをなんらかの形で維持できないかという提案だった。

回り地蔵を受け継いでいる地域はほかにもある。時代の流れで行事をやめるほかなくても、全員で顔を合わせる機会を定期的に作るなど、講中の結びつきを維持しているところもあるという。

反対意見はまったくなかった。

話題は講中の結びつきにとどまらない。もともと農村だったから、食べ物を育てている田がある、畑がある。古い家には井戸もあり、敷地もゆったりしている。講中という名のもとに自分たちがつながってさえいれば、いざ何かあったとき、本来の地形や水脈や、開発された今の姿の奥にあるこの土地の素顔をほとんど知らない新しい住人が多くなった地元のために、何か役に立てることだってあるかもあるかもしれない。

が、仕組み作りが難題だ。今までのように世話人を年番で回すのは無理ということはもうわかっている。では世話人を引き受けてもいいという人に手を挙げてもらったらどうかなど、さまざまな意見が出された。講中の物語の最終章のはずが、一転して次章のプロローグに。まさかの大どんでん返しである。この夜、結局、方針は定まらなかったが、お酒を飲んで賑やかに思い出話を語り合いつつ、一つの合意ができあがった。それは、

古くからの人のつながりは、なんとか維持していこう。

ということ。滝ヶ谷戸の旧家は、400~500年の歴史をもつそうだ。源氏と平家が隣り合って暮らし、収穫したてのインゲンの筋を庭先でとりながら、秀吉の小田原攻めのときの騒動が、つい昨日のことのように語られる。そんな長い歴史を振り返れば、きれいごとではすまないできことや軋轢も、当然、あったにちがいない。けれど一緒に生きることを、さまざまな時代に選び取り、工夫を重ね、共同体を維持してきた粘り強い人々だ。
回り地蔵の160年は長い時間だが、500年の時の流れからすれば、3分の1にも満たない。であるならば、新しい住人を含めた人と人をゆるやかにつなぐ何かが、お地蔵さまに変わって、この先、出てこないと誰がいえるだろう。

それにもし、万が一、万万万が一、いつの日か「たいへん失礼ながら、もう一度、回っていただきたい」ということになったとしても、お地蔵さまはスリープ状態に入った2013年上半期の流行語のまま「じぇじぇじぇ~」と驚きながらも、引き受けてくださる気がする。なぜなら、さまざまな時代の滝ヶ谷戸の人々の、ことばにならないたくさんの思いを背中合わせにすべて引き受けながら、長い長い年月、カタンコトンカタンコトンと音を立てて、谷戸の道を歩き続けてきたのだから。雨の日も晴れの日も、戦火の下も満開の桜の下も。



●協力(敬称略)
滝ヶ谷戸講中
福聚院
森匠
宮地工
福富洋一郎(つづき交流ステーション)

●参考資料
日本民俗大辞典
緑区史
御大典記念都田村誌
都筑North East West South知って知って情報
港北ニュータウンふるさと伝承記念集
回り地蔵と花籠の舞~池辺町に伝わる風習と郷土芸能~(港北ニュータウン記念協会所蔵ビデオ)