北山田 どんど焼き
  山田富士公園の北山田”どんど焼き”風景  平成25年1月

「山田富士公園ではやぐらを組んだ昔ながらの”どんど焼き”が見られる」と聞いてカメラ引っさげ、ニュータウン南の端から地下鉄に乗ってはるばる見物に出かけた。

初めて訪れる山田富士公園、場所不案内のため、それらしい子供連れの一行の後について行くこと7〜8分、たどり着いた広い公園の会場には、はや大勢の人・人・ひとが今や遅しとやぐらの点火を待っているところであった。

広場の奥に張られたテントでは、三俣餅を買い求める長い行列、この日の朝つき立ての角餅を割竹に刺したもので、これを食べて健康を願うという風習の名残である。

定刻午後1時半、やぐらに点火、旧年の穢れを焼き、新年への福を呼び込むとも言い伝えられる炎が盛大に燃え上がる様は、少々大げさではあるがなかなかの圧巻で、はるばる見物に来た甲斐があったというもの。 

ニュータウン開発前まで続いていた古来の伝統文化を、今に伝える小正月行事、一見の価値ある風物詩である。

本来、三つに分岐した三俣(ミツマタ)の枝先に刺した餅を、どんど焼きの火で焼いて食べると、その年は無病息災で過ごせるという言い伝えがある。

これを信じた訳でもないだろうが、長い行列に並んで1枝100円で買い求め、どんど焼きの残り火で焼いて食べるのも楽しいもので、最高のストレス解消になる。とは、子供2人を連れた若いお母さんの弁。

お年寄りも、若者も、子供もみんな笑顔だ。
北山田町内会の役員有志で、近くの竹林から切り出した7m余りの孟宗竹を組み合わせてやぐらを組み、杉や檜の枝を絡ませてやぐら完成。 やぐらは年々高くなってきているそうで、それ故に燃え上がった時の見応えも増してきたという。

「どんど焼き」とは小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・締縄・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わる正月の火祭り行事である。

一般的には、田んぼや空き地に、長い竹や木、藁(わら)、茅(かや)、杉の葉などで作ったやぐらや小屋(どんどや)を組み、正月飾り、書き初め等で飾り付けをしたのち、それを燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるというもので1月15日前後に各地で行われてきた。

組み上がったやぐらには、願叶っただるま・正月飾り・神社のお札・願い事など諸々の旧年の物が所狭しと乗せられる。

どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康で過ごせるなどの言い伝がもあり、無病息災・五穀豊穣(むびょうそくさい・ごこくほうじょう)を祈る昔の民間伝承行事で、いつまでも残して行きたい風習である。
ページヘッダーはやぐらが燃え上がった時の写真。右の写真は上の部分が燃え崩れ落ちた直後の写真。 強い炎と煙で見物する人の輪も遠巻き。広大な公園敷地だからこそ出来る、高いやぐらのどんど焼きイベントである。

万一に備え、公園入口には横浜市消防局の消防車が控えており、見物する人の輪のすぐ後ろまで、ホースが伸び、消防士が待機していた。
  「危ないから炎に近づかないで下さい」 とスピーカーから呼びかける注意も何のその、真っ先に餅を焼きたいがため、炎に近寄り小さくなった人の輪。手に手に三俣餅がある。
 点火から1時間ほどでようやく炎が消え、消防士が餅を焼きやすいように燠(おき)を広げ焼く準備完了。一斉に燠に近ずいた人の輪。

すごい2千・3千人、もっと多いのではと思えるほどの群集。

三俣餅焼きの喧噪を後にしたのは、陽が公園脇の山田富士の向こう側に隠れた後で、初めて見る北山田町内会の”どんど焼き”見物を終え、心地良い疲労を覚えた取材でした。
 

”どんど焼き”寸景

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                                                                            平成25年1月 取材・製作: - shiba -

山田富士公園 "どんど焼き"



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