第17回 つづきみどりと花のまち巡り
主催  横浜市都筑区区政推進課企画調整係
2024年10月6日(日)AM9:00〜12:00、約7q、3時間の ”第17回 みどりと花のまち巡り”のイベントにレポーターとして参加した。朝から前日でのささやかな希望むなしく雨模様の空で、参加者の皆さんと共に何とか降らないで欲しいと願いながら、市営地下鉄グリーンラインの中山駅改札コンコースに集合した。
当日の空模様を心配してか?、お子様連れの方はキャンセルされたようで、まち巡りの間お子様のにぎやかな声が聴けないのが残念だったが、それでも60名程の参加となった。
「都筑をガイドする会」のガイドさんから巡るコース、トイレ休憩や水分補給など説明を受け、班ごとに霧雨程度の空を見上げながら、次から次へと最初の「四季の森公園」に向け出発していった。
 
 コースの地図や写真はクリックすると大きくご覧になれます(元に戻す時は左上の←をクリック)
 
県立 四季の森公園
中山駅から、15分ほどの四季の森公園に着くころには心配した雨も上がった。
里山の風景が残り四季折々の自然に出あえ多くの人が訪れる、人気のある公園である。
春は菜の花や、桜が咲き、夏には大賀ハスが咲き、ホタルやトンボ等の虫たちも姿を見せる。
秋は紅葉が美しく彩り、まさに一年を通して四季の移り変わりを楽しめる公園だ。
あの猛暑から徐々に解放され、秋らしさが間もなくやってきそうだった。
途中の大きな池の脇では、超望遠カメラが並びお目当ての「カワセミ」が魚を嘴にくわえ水面から飛び上がってくる一瞬を逃がすまいと、カメラ愛好家の棲家のような場所となっていた。直ぐ近くの木に瑠璃色の背中を向け飛ぶ宝石と言われているカワセミが止まっているが見向きもしないので聞いてみると、水面から飛び上がってくるダイビング姿しか撮らないようだ。カメラが濡れないよう雨除けの傘も取り付けている。 緊張感が漂うカメラマンの横を邪魔をしないよう静かに抜け、森の奥へと向かっていった。雑木林などが広がっており、歩いているだけでその空気感に癒されるようだった。
里山ガーデン
第1班、第2班の皆さんは元気に,四季の森公園内の急な山の階段(226段)を登り切って、ようやく平地に出て、里山ガーデンの入り口広場についた。
ガイドさんから「里山ガーデンフェスタ2024」の花図鑑をいただいた。秋の花が沢山紹介されている。
里山ガーデンは全体として10,000uあり、今は想像もつかないが、ここはもともとはジャガイモ畑だったようだ。2024年秋の里山ガーデンのテーマは「煌めきの丘」で、約100種類15万本の花々で、里山の実りや自然の恵みへの感謝や喜びを表現しているとのこと。
展望デッキから見た時、左から右にかけて黄色、オレンジ、ピンクとだんだんと色が濃くなってゆく、グラデーションが特徴との事。コスモスは彩りも良く他の花との素晴らしい調和を保っていました。この光景は感動モノでした。みなさん花をバックに記念写真を撮り満足そうであった。正面入口広場では「GREEN×EXPO 2027」(2027年国際園芸博覧会)看板や案内チラシなども置かれPRを行っていた。
ミュレンベルギアは雨に濡れ穂先に雨粒を沢山ため花が開いたように見えていた。
皆さん、チョコレートコスモス知っていますか?ガイドさんから言われて鼻先を近づけて嗅いでみると、甘いチョコレートの香りにびっくりでした。周りの皆さんも次々と、チョコレートを味わうような勢いで嗅いでいました。 
  花々に囲まれて楽しんでいた里山ガーデンを離れ、次の目的地はズーラシア動物園をスルーして中原街道沿いにある歴史の跡を巡るため、再び足のギアを上げて歩き出していった。見ているとトイレと水分補給以外はず〜っと歩きどうしたったですが、みなさんの健脚ぶりには驚きました。
   
 
中原街道沿いにある ”日蓮大菩薩天拝碑”・”都筑郡役所創設之跡
中原街道は、江戸幕府によって東海道が整備される以前から相模の国と江戸を結ぶ道で、江戸時代は東海道の脇街道として、また、江戸との交易の道として利用されていた。街道の名前の由来は平塚市の北西部の中原に家康以来将軍の宿所(御殿)があったことによる。
都筑区を東山田から江戸にかけて貫いているが、ここ旭区もその中心を貫いており、地名または史跡に残るエピソードがあった。
場所は地図をクリックすると 大きくご覧になれます
その一”日蓮大菩薩天拝碑”
日蓮大菩薩天拝碑は、文政9年(1826)に佐野屋傳右衛門により建立されたもの。
正面には、「相州中依智(厚木市中依知)星下り蓮生寺」と刻まれている。
日蓮聖人は弘安5年(1282年)9月に病気療養のため、身延久遠寺から常陸に湯治に行く途中この道を通りましたが、瀬谷の妙光寺に止宿したことは、江戸時代の地誌「新編相模原風土記稿」の妙光寺の項に記されている。聖人は池上で力尽きて10月に入滅されたそうだ。
 
その二"都筑郡役所創設之跡"
"都筑郡役所創設之跡"が今回のコース最後のまち巡りとなった。
都筑郡役所の変遷とは、今から100年以上前の大正11年(1922年)に郡制が廃止されるまでの都筑郡は現在の都筑区、旭区、緑区の全域や保土ヶ谷区、港北区、瀬谷区の一部を含む広域であった。都筑郡の役所が川和町に移った理由は、下川井が郡の西南の端にあったため、各村から場所を変えるよう強い要請があり、郡の中央に位置する川和村になった。

<都筑区の由来>
横浜の北西部一帯は、奈良時代から昭和14年まで「都筑郡」と呼ばれていた。
「都筑」の名称には、
@広く地域の人に定着している由緒ある地名を将来に向けて大切にする。
A奈良時代から続く歴史的な地名にちなみ、これからのまちづくりが新しい「都を筑(築)く」
という意味が込められている。
変遷の詳細は下記の画像に表記している。
四季の森公園の中は、体の中まで森林浴で癒されるようでした。また、里山ガーデンでは秋の花々が丘一面に広がっていてガーデン内のデッキからの一望は、花の絶景そのものでした。
都筑区誕生の紹介もあり。皆さん疲れを忘れて秋を満喫されていました。それから、参加者の皆さんや説明しながら歩き誘導するガイドの方の健脚ぶりには、驚くばかりでした。
  つづき交流ステーション
2024年10月6日(日)
記:濱ちゃん 
 
「区民レポーターがゆく」トップへ
「つづき交流ステーション」トップページへ