都筑区内にある平尾リコーダー工房を、クリスマスイブ前日に訪問してきた。ビルの4階に着くと、しゃれた入り口が迎えてくれた。

スポーツジムで知り合った「ヴィオラ・ダ・ガンバ」のプロの演奏家である平尾雅子さんとの雑談中に、区内にリコーダー工房があることを知った。

「主人が息子と一緒にリコーダーの製作をしているの。主人は演奏家でもあり、海外の演奏家からも注文が入るのよ」という話を聞き、是が非でもインタビューをしたいと思った。楽器の製作を見学できる機会が訪れるとは、思いもよらなかった。

お願いしてから数か月も経ったのは訳がある。ご主人の平尾重治さん(演奏するときは山岡重治)も、雅子さんもそれぞれの演奏会で忙しかった。

そのうえ、雅子さんはヴィオラ・ダ・ガンバのコンクールの審査員として、ドイツに行っていた。コロナ禍のドイツ行とあって、帰国後は待機しなければならなかったのだ。

訪問日には、重治さん・雅子さん・息子の清治さんが迎えてくださり、未知の世界の一端にふれさせていただいた。




 
「都筑のサイトなので、みなさんに聞いているのですが、ここに工房を構えたのはいつですか」

「都筑区ができるちょっと前の1993年です。でも最初に工房を開いたのは1980年に京都府宇治市です。その頃こちらでは川崎の宮崎台に住んで、楽器の仕上げをしながら京都に月1回通っていました」

「40年以上の歴史があるんですね」

「そうです。2年前には工房40周年の記念演奏会もしました」

〇2020年12月の東京オペラシティでの演奏。「永遠のカノン」
2本のリコーダーの対話。(山岡重治・太田光子)

〇2021年1月の上野学園でのリコーダーコンチェルトの夕べ。

「ところで、重治さんは早稲田の理工学部に進学していますね。工学部と音楽とは結びつかないのですが」

「入学したものの、安田講堂の占拠があった頃で授業はほとんどなかったのです。それで中学の頃から音色に惹かれていたリコーダーを本格的に学ぼうと思いました。早稲田は辞めて、スイスのバーゼル音楽院に留学しました」

「当時はリコーダーを学べる音大は、女子大2校以外は日本にはなかったのです。それで、リコーダーの歴史が古いヨーロッパに向かいました





「留学して2年目に古楽器コンクールで優勝なさったんですね」

「広瀬量平さんが、リコーダーのために書いてくれた日本の現代の曲が、ヨーロッパ人に受けたんでしょうね。広瀬さんの日本独特の表現が、世界でも認められました」

「演奏だけでなく、オランダでリコーダーの製作を勉強なさったんですね。今は演奏と製作と芸大などでの指導もなさっています。二刀流どころか三刀流のご活躍です。ところで若い時に優勝した古楽器コンクールですが、そもそも古楽器ってなんでしょうか」

「古楽器は、古い音楽が書かれたその当時に使われていた楽器を言います。管楽器ではリコーダー、弦楽器ではヴィオラ・ダ・ガンバ、鍵盤ではチェンバロなどです」

演奏写真の左が「ヴィオラ・ダ・ガンバ」の雅子さん、中央がリコーダーの山岡重治さん。提供は平尾リコーダー工房。

ヴィオラというと、ヴァイオリンよりちょっと大きい楽器だと思っていたが、「ヴィオラ・ダ・ガンバ」はとても大きくて、足にはさんで演奏する。ガンバは足とか脛という意味。




「リコーダーがルネサンスやバロック時代までは、もっとも普及していた管楽器ということを知りませんでした。リコーダーは子どもが小学生の頃に練習していた簡単な楽器という認識しかなかったのです。日本の小学校でリコーダーを教え始めたのはいつ頃ですか」

「ヨーロッパで姿を消したリコーダーが見直されたのは、19世紀の終わり。日本に入ってきたのは1930年頃ですが、教育楽器としてリコーダーの指導がはじまったのは1950年以降です。音楽大好きなアメリカの軍人が文部省に進言したのです。僕は1950年8月生れですから、ご縁を感じるんですよ」と重治さん。

「日本中の子どもたちがリコーダーを習う割には、大人になってリコーダーを趣味にしている方は多くないですね。なぜなんでしょう」

「教える先生や環境にもよりますね。リコーダーは多様で深い表現ができることを指導してくれれば、もっと普及すると思うのです」

恥ずかしながら、本格的なリコーダーを見たのは初めてだ。子どもが使っていた安価なプラスチック製すらしげしげと眺めたことがなかった。

リコーダーは表側に7つ、裏側に1つ、合計8つの指孔を持っているが、1本では2オクターブぐらいの曲しか吹けないので、ソプラニーノ・ソプラノ・アルト・テナー・バスなど何種類もある。

重治さんと清治さんの作品には、それぞれスタンプがついている。「ヨーロッパで知り合ったリコーダー奏者に、HIRAOはご主人か?と聞かれて嬉しかったのよ」と雅子さん。

写真は、平尾リコーダー工房提供。

 


訪問をお願いした時は、リコーダー製作の現場見学という軽い気持ちだった。でも重治さんは3つの顔をお持ちだし、雅子さんもコンクールの審査員をするほどの演奏家、息子の清治さんもいっときは就活を始めたものの「リコーダーを作りたい」と自ら望んだ製作者で、今は世界中の演奏家から注文が入る。

取材の焦点がぼけてしまうほど話はあちこちに飛んだが、初心に帰って、リコーダー製作の手順をお読みいただきたい。

木材を乾燥させる→角材を回転して円柱状にする→ドリルで下穴を開ける→刃物で内径を削る→外観の削りだし→染色の後、アマニ油に漬けこむ→オイルをふいて磨く→ドリルで指孔を開ける→窓・ウィンドウェイの整形→窓の仕上げ→歌口をカット→ヴォイシング(音色)の調整→チューニング(調律)→ 全体をチェックする

この手順は、YouTubeでアップしている。清治さんが製作している画像だが、これを見ると一目瞭然である。
http://hirao-recorder.com/youtube-jp.html 


 
木材はトルコ産黄楊(ツゲ)
日本のツゲより重く、リコーダーに適している


 
直方体にカットした木材 5年以上の乾燥が必要だ
 
1本のリコーダーは3つのパーツに分かれているので
木材は思ったより短い


 ドリルなどが並んでいる


製作中のリコーダー

 
削る作業
「0.1ミリの削りの違いで音が違ってくるんです。演奏家の細かい注文に応えられるように製図も書いています」という重治さんの話は、ド素人の私には衝撃だった。1ミリでなく、0.1ミリ。なんて奥が深いんだろう。


 


 
正直言うと、私は古楽器の演奏を聴いたことがない。平尾ご夫妻は、歴博のホールや都筑公会堂でコンサートを開いたというが、私は知らなかった。「アートフォーラムあざみ野」などで、ウィークエンドコンサートを50回も開いたというのに。

今回、重治さん演奏のリコーダーのCDを数枚聴いた。癒される音色、嫌なことが忘れられそうな音色、新しい命を吹き込んでもらえる音色。生で聴きたい!!

ご夫妻は、「身近な場所で気軽に音楽に親しんでもらいたい」と思い続けてきた。だから近いホールでの演奏会も開いてきたが、知らない人が多いし音響のいいホールは少ないらしい。

「今度新しく区民文化センターに300人収容ホールができるそうです。ぜひここで演奏会を開いてくださいね。都筑区も高齢者が多くなっています。都心に行くのはつらいけど、生演奏を楽しみたい人は大勢います」

「音響が良いホールができるといいんですが。古楽器は特に音響が大事なんです。区民文化センターで演奏できることを楽しみにしていますよ」

取材予定の2時間はあっという間に終わってしまった。資料を用意して真摯に対応してくださったことに、心から感謝している。

          (2021年12月訪問  HARUKO記)