今回の訪問は、左写真の大熊保幸さん(58歳)。

ひと訪問は長いこと心がけていてお願いすることもあるし、突発的に「この”ひと”の話を聞きたい」と思うこともある。大熊さんの場合は後者。ひとこと話しただけで、魅力的なお人柄が伝わってきた。

2019年12月に区民活動センター主催で「現役世代の男性も地域で活躍」という会合があった(右)。

仕事をしながらも地域活動もしている現役世代の6人がゲストスピーカーだった。

地域活動の主役は、主婦かリタイアしたシニア男性がほとんどだ。リタイアしても地域に溶け込めず、現役時代の友達としか交際しない人もいる、引きこもり状態の人もいると聞く。

そんな中、フルタイムの仕事をしているのに地域活動でも中心的な役を担っている人は、どういう時間配分をしているんだろう、本職に差しさわりがないのだろうか、家族との団らん時間はあるのだろうかなど、余計な心配までしてしまう。

6人の方すべてを訪問したかったが、それは次の楽しみにとっておくことにして、今回は牛久保公園愛護会の設立者のひとり大熊保幸さんに会ってきた。


牛久保公園愛護会 の設立は2012年

大熊さんとお仲間へのインタビュー時間は56回の中で最高で、午前10時半から午後の11時まで続いた。なんと12時間以上の長きに渡ったが、それでも話は尽きない。10時半から13時までは、牛久保公園愛護会の定例会(5人出席)を傍聴。傍聴と言ってもインタビューアーの癖でつい口をはさむが、みなさん嫌な顔もせずに答えてくれる。

定例会終了後に大熊さんだけに話を聞くつもりだったが、会長の黒田さんと副会長の岡田さんが残ってくれた。夕方5時に区民活動センターが閉まったので、そのあとは外部で食事をしながらのインタビュー。あまりにたくさんの話を聞いたので整理するのが大変だが、取材者としてはこんな愚痴は贅沢というものだ。

牛久保公園愛護会の設立は2012年4月。8年の積み重ねがある。つづき交流ステーションでは区内の公園(総合・歴史・広場・緑道・河川・地区・街区・緑地)144か所を取材しているので、アクセスなどは牛久保公園のページを見てほしい。センター北駅から徒歩10分ほど。牛久保小学校のすぐ隣にある大規模な公園だ。

 
定例会では 3月の花見ピクニックや活動方針について
熱心に話し合われた
 
「地面が乾いているのが気になった」と水やりに来た
愛護会会長の黒田さんと偶然の出会い

 
土を耕す大熊さん 本人から提供

 
花壇の傍に愛護会の掲示板
 
てっぺん広場の樹木に樹名板がついている

「どうして公園の愛護会を作ろうと思ったのですか」

「娘が入学したときに『牛久保小おやじの会』に入ったんです。PTAの会長も引き受けました。おやじの会もPTAの集まりも、いずれ抜けなければいけない。そんなとき学校の隣にある牛久保公園が、もっとオモシロイ場になればいいなと思ったのです。子供たちが笑顔で遊べる場を作りたい、遠くに行かなくてもアウトドア生活を楽しみたい、自分の居場所を作りたい、地元で付き合える仲間が欲しい・・と3人で始めました」

「メンバーのみなさんは樹木や花が好きだから愛護会のメンバーになったのだと思い込んでいましたが、それだけが目的ではなかったのですね」

「牛久保公園は都市大の先生の調査によると、水分を多く含む土壌で植物にとって最適な土地だとわかりました。花壇の場所も、朝日は当たるけれど西日は当たらない。花にとっては最適なんです。植物好きでなかったとはいえ、今では堆肥の作り方や球根の育て方も勉強していますよ。楽しみながら、いろいろなことにチャレンジできる団体にしたいんです」

「樹木や植物は100種類もあります。樹名板もかかげていますが、板を縛る紐の寿命が短いのが悩みです」

「草刈り・花植え・剪定のほかに、ごみ拾い・落ち葉掃きなど、やることはたくさんありますね。土日しか活動できないから、1年中忙しそうですね。活動日を教えてください」

「愛護会の活動日は原則として第2土曜がミーティング、第4土曜が作業日です。ほかにも他の地域の祭りを手伝ったりピクニックをしたり、ほぼ1年中活動していますよ

「メンバーはたくさんいるんですか」

18名ぐらいです。そのうちの7~8名が子育て中の女性で、公園にプレイパークを作ろうとしている仲間です」


てっぺん広場で花見ピクニック 

牛久保小学校の西門前、花壇の脇から階段を上ると、牛久保公園のてっぺん広場に出る。都筑に数ある公園の中でも、360度が見渡せる公園は珍しい。

このてっぺん広場で3月28日(土)に、花見ピクニックが行われる。11時から15時まで。雨天の場合は翌29日(日)。
毎年、桜の時期には360度の桜を楽しめる。

 
この時期のてっぺん広場 桜の木が広場を囲んでいる

 
花見ピクニックのチラシ

28日のイベントは上記のチラシ以外に、つづきブックカフェおはなし会・外ヨガ教室・体力測定など豪華企画が盛りだくさん。ビニールシートも敷いてあるし、参加費は無料。

子どもから大人まで大歓迎。たくさんの方に来ていただき、楽しんでほしい」と愛護会のメンバーは張り切っている。


3.11の時、PTA会長だった 

「PTAの会長もしていたんですね。役員になりたがらない人も多く、PとTの間はうまくいかない場合もあると聞きますがどうでしたか」

左は運動会で挨拶する大熊さん。

「創立(2003年)間もない新しい学校なので、しがらみがないことも幸いでした。校長先生はとても話が分かる方で、率直に話し合えたと思っています。でも任期の途中で大阪に転勤になったので1年半しかしていません」

「会長をやっていた時のいちばんの思い出は3・11の地震です。汐留の職場から東京駅まで歩き、東京駅から新横浜まではのろのろ新幹線、新横浜から牛久保小学校まで2時間歩き、着いたときは夜中の12時でした。PTAの会長として、生徒の安全確認が大事と、必死でした。自宅に帰る前に学校に行ったんです。幸い牛久保小の生徒は全員が無事でホッとしました。その後、PTAとして募金活動をして被災地に送りました」


「何事にも手を抜かず一生懸命なさるのですね」


 くさぶえの道にわくわく・ドキドキ

「大熊さんの出身と勤務先の本社は大阪と聞いていますが、都筑に家を持ったのはなぜですか」

「2009年に東京に転勤になり、家探しをしたんです。もともと若いころに鷺沼に住んでいたし、カミさんの実家も近いんです。転勤が多いのでカミさんの実家が近いほうが安心だと思いました。センター北周辺で家探しをして、くさぶえの道(中川~牛久保~徳生公園)のあまりの素晴らしさにわくわく・ドキドキしたので即決でした」

「港北ニュータウンはグリーンマトリックスの概念で、緑道でつながれています。長年住んでいると当たり前になっていますが、越してきた方にはわくわくの空間なんですね。グリーンマトリックス生みの親のひとり川手昭二さんを取材しているので読んでください」

下の3枚は、大熊さんのご家族もとても気にいった「くさぶえの道」。写真提供はつづき交流ステーション。

   


仕事も趣味も 

「最後になりますが、どんな仕事をしているんですか。今までしてきた仕事で思い出深い出来事はなんでしょうか」

「大阪の読売テレビ勤務です。東京、名古屋、大阪など転勤が多かったのですが、それぞれで懸命に仕事をしましたよ。
思い出深い番組は、全国放送した”夢色パティシエール”というパティシエールを目指す女の子の成長を描いたアニメですが、全国の人から元気をもらったと感想が寄せられました。こういう話を聞くと、この仕事をしていて良かったなあと思います」


「今は大阪に単身赴任だそうですね。週末には横浜に戻り、地域活動もするなんて驚きです。パワフルですねえ」

「関連会社のエイデックに出向中です。読売テレビの番組のテロップ・フィリップ・CG・HPを作ったり、データ放送(dボタン)、目や耳が不自由な方向けの字幕・解説放送も行っています」

「読売テレビの写真を数枚見せていただきましたが、名探偵コナンが活躍ですね」

「読売テレビ制作のアニメ”名探偵コナン”は外国にも知られています
。記念写真を撮りたがる人も多く、玄関には名探偵コナン像が設置されています」

下の3枚の写真は大熊さん提供。


 社屋からは大阪城が見える
 
名探偵コナンの像

 
1階トイレの印もコナン

「忙しい人ほど趣味にも時間を割く・・と言われています。趣味もたくさんお持ちでしょうね」

「地域活動も趣味といえば趣味ですが、ほかにはゴルフ、麻雀、ボーリング、カラオケ、ウオーキング、内外の旅行など。ゴルフはホールインワンをしたこともあります。カラオケの十八番は郷ひろみの歌。歌うと周りにいる人から必ず声をかけられます。なんであれ、職場とは関係ないいろいろな人との交わりが楽しくてたまりません」

下の3枚も大熊さん提供。

 
ゴルフのホールインワン記念カード

 カラオケの十八番は郷ひろみ
 
シンガポールのマーライオンと


大熊さんへのインタビューの翌日には、この原稿が仕上がった。「ビジュアルにしたいので、いろいろな写真を貸してほしい」と事前にメールをしたら、すぐに50枚近い写真が届いた。使った写真は数枚にすぎないが、大熊さんのお人柄が伝わってくるユーモアあふれる写真がほとんどだった。

「レスポンスが早くて助かりました」「頼まれたらすぐやらないと気が済まないのです」

大熊さんほど多忙な方は少ないだろうと思うが、実に楽しそうになんでもこなす。完全リタイアしたら、都筑をもっともっと住みよい街に変えてくれそうな気がする。子どもにも老人にも生活弱者にも優しい街を作ってほしいと切に思いながら長いインタビューを終えた。

     (2020年2月訪問  HARUKO 記)
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