田中さんのお話の中で驚いたのは、2年間の退職のあと、再度受験して、横浜市に就職していることです。保健師という専門職の資格を持っておられるからこそと思われますが、当時は、産前産後8週間で職場復帰しなくてはならず、育児休業制度もありませんでした。もちろん、保育園もどの程度あったのかわかりませんが、田中さん世代の方々が頑張って、さまざまな制度を切り開いてくださったのです。

育児をしながら、仕事を続けるだけで大変なのに、管理職の道を進んだことも尊敬します。年齢的に考えて、数少ない女性管理職と思われます。時代の変化に応じて、新しい制度をどんどん勉強したり、制度そのものを作っていかなければならない立場だったと思います。

ボランティアで認知症の勉強を始めたり、海外の老人ホームを視察し、スウェーデンのグループホームでは、自費で研修を受けたり(左は修了書)など、認知症に対して並々ならぬ思いと、志の高さを感じます。

横浜市のグループホームのさきがけとして、定年後も休むことなく現役で頑張っておられることに頭が下がります。

「認知症フォーラム」で田中所長の「はつらつ」を知り、母をお願いしたいと思ったのです。今年91歳で亡くなるまで4年半お世話になり、最後まで看取っていただきました。やせ細っていましたが、きれいな身体で、枯れるように逝きました。

親がホームで亡くなった後も、運営推進委員を引き受けている人たちがいますが、みなさん感謝しているからだと思います。ますますお元気で、ご活躍されることを祈っています。

 (audrey 記)    


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