16回目に訪問した「荒武千恵子さん」に、次の方を紹介してくれませんかと頼んだところ、あら!お隣に素晴らしい方がいらっしゃいますよ」 ということで、千坂純子さん(左)のご自宅を訪問してきた。 「地域活動コーナーで、6年前に取材していることが後で分かったが、何度でも登場してもらいたい方だ。 千坂さんの名刺には、ベートーベンの「AN DIE FREUDE」の楽譜が型抜きされている。受け取った瞬間に、音楽関係の方だと分かるうえに、千坂さんのセンスが光る名刺だ。 名刺には、アレグロ・モデラート代表、ピアノ・エレクトーン講師、生涯学習音楽指導員、音楽療育指導員とある。 詳細は、インタビューの中で明らかにしていきたい。
千坂さんに初めて連絡をとったのは去年の11月。インタビューは3月になってしまったが、その間に音楽活動を3回ほど見学に行っている。そのたびに千坂さんのオシャレが際立っていたので、「オシャレですね。気をつけているんでしょうね」と、本題から外れた質問からはじまった。 「東京育ちですが、主人の転勤で宝塚の音楽学校のすぐ近くに住んでいたことがあります。彼女らを見ていてるうちに、私もオシャレを自然に身につけていったんです」 「音楽は夢を与えるものなので、ピアノのレッスンのときも、着替えるんですよ。生徒が楽しくレッスンできるように気をつけています」 自宅の半地下になっている音楽室で、ピアノやエレクトーンを教えている。華やかで明るい先生に教えてもらう子どもたちは、幸せだ。音大に進んだ生徒もいるし、コンクールで受賞した生徒も大勢いる。部屋には賞状やトロフィー(左)が所狭しと飾ってあった。 アジア国際コンクール入賞者の演奏会が、2011年8月にウイーン国立音大のホールで行われた。入賞した生徒を連れて、去年はウイーンに行ってきた。今年5月にも中国の西安で開かれので、引率準備をしているところだ。
千坂さんの音楽活動は、レッスンばかりではない。「地域の人に音楽の素晴らしを伝えたい」思いで、音楽の先生方と「アレグロ・モデラート」を結成した。3か所の老人ホームへ月1回の慰問、地区センターやコミュニティハウスやデパートの催事場での演奏など、アレグロ・モデラートの活動の場は広がっている。 生涯学習音楽指導員と音楽療育指導員の資格も持っている。元気をなくした人やお年寄りが、音楽を聴くことで笑顔になりイキイキとしてくるこをを実感している。
千坂さんたちの活動が、もっとも力を発揮したのは、3.11の震災の時だ。 宮城県の気仙沼には深夜バスで向かい、気仙沼中学校など2か所でコンサートを開催。夜に帰宅という強行軍だったが、たくさんの人たちが聴きにきてくれた。 「コンサートをしながら外に目をやると、あたり一面、瓦礫の山なのよ。私たちの奏でる音楽が心のケアになればいいんだけど。長期的なケアが必要だと思う」と話す。 宮城県の石巻にも日帰りで行った。演奏したのは「青葉城恋歌」「北上夜曲」「故郷」「荒城の月」「おぼろ月夜」「月の砂漠」などなつかしい曲ばかり。 「現地は、瓦礫の山(左)と、腐った魚の臭いで大変だった。でも会場のみんなは、一緒に口ずさんでくれたの。その時もらった拍手は私たちには宝物よ」
ピアノのレッスンと地域活動と主婦業だけでも、忙しいと思うが、留学生のホストファミリーもしている。10年ぐらい前に、ホストファミリーが足りなくて困っているという記事を新聞で読み、みずから申し出た。今までに、ドイツ・フランス・スエーデン人などのホストファミリーを引き受けている。 「最初に引き受けたのは川和高校に留学していたスウェーデン人なの。その子が結婚して赤ちゃんが生まれたのよ」と自分の息子のように嬉しそうに話す。 「悪いことをしたときは、本気で怒るの。お母さんになってしまうのよ。だからみんなが最初に覚える日本語は”ごめんなさい”」 「ホストファミリーになると、食費はもちろん、京都などへの旅行費用などもかかるの。でも帰国後も交流が続いて、ずっとお母さんの気分よ」
実は、3.11の時も、スエーデンの高校生がホームステイしていた。千坂さんはじめ家族はみな外出していたが、彼女は家にいて、ひとりで不安だったという。にもかかわらず、日本に残って被災者のボランティアをしたいとすぐ言い出した。でも、家族からの電話攻勢に加え、帰国命令が出るに及んで、泣く泣く帰国したという。
オーストリアのザルツブルクで毎年8月に開かれる音楽祭には、10回ほど行っている。音楽三昧の1週間を過ごす。1日で3回も聴くことがあるそうだ。 「1日3回で1週間!飽きませんか」とつい口走ってしまった。 「飽きませんよ〜。最高レベルの音楽家たちが世界中から集まってくるんですよ。こんなに幸せな時間はありません。感性も磨かれるし、日常の雑事から解放されます。これからも音楽の力を届けたいという気もちが、湧いてきます」 千坂さんにインタビューしている間、「なんでもヒョイヒョイと自然体でこなしてしまうエネルギーはどこからくるんだろう」と思い続けていたが、ザルツブルク音楽祭の話を聞いて少し納得した。身体が丈夫なのはもちろんだが、人生の楽しみ方をよくご存知なのだ。 「お幸せですね」の問いに「もちろんです!」の答えが返ってきた。「なお一層のご活躍を」と言いいながら、取材を終えた。 (2012年3月訪問 HARUKO記) |