虫送りの歴史 お囃子と踊りの稽古 祭り当日の準備 祭り本番

横浜市の無形民俗文化財に指定されている南山田の「虫送り」は、夏の土用(立秋の18日前が土用入り)後の第1土曜日に行われています。

以前は、土用に入って3日目にしていましたが、今は、たくさんの人が参加しやすいように、土用に入って最初の土曜日にしています。

だから毎年、開催日が違いますが、今年(2014年)は7月19日 でした。

虫送りの歴史、お囃子と踊りの稽古、祭り当日の準備、祭り本番の4つにわけてレポートしています。
                      (2014年4月5月7月 取材) (HARUKO記)


 

 
虫送りの歴史


年々盛んになっている「虫送り」ですが、実は、中断されていた時期がありました。以前はどんな虫送りだったのか、どうして復活したのか、虫送り保存会の栗原毅さん、斉藤一雄さん、岩崎アサさんの3人から話を聞きました。

このレポートは、「ひと訪問栗原毅さん」の内容と重なる部分もあります。

「虫送り」は、江戸時代から続く伝統行事だと言われますが、始まった時期ははっきりしません。稲の穂につく害虫駆除を願って、全国の農村で行われました。願いは同じでも、地方や村によって、やり方は違っていたようです。

この辺りの「虫送り」のことは、神奈川県都筑郡中川村々是調査書(明治36-1903-年発行)に、きちんと書いてあります。

村是と言われる村の調査は、神奈川県では4村だけが実施されました。村の人口や産業や地形や風習などを詳しく調べているので、明治時代の中川村の様子がよく分かります。

昭和14年までの中川村は、山田・牛久保・大棚・茅ケ崎・勝田に分かれていました。今の都筑区の北部が、ほぼ中川村と一致します。

この村是の「生活および社交」の項目「臨時の正月」の部分に、虫送りの記述があります。句読点がないので、少し少し読みにくいかもしれませんが、原文(左)を載せます。

今の虫送りも、笛太鼓を囃して松明を持って歩きます。松明を1ヶ所に集めて焚くことも同じです。でもいちばんの違いは、以前は大人の男性が主体だったことです。

ここでは、虫送りを田祭り正月と呼んでいます。仕事を休んで飲食することを正月と言い、年に10数回の正月がありました。各正月の時は3日ほど休むのが普通でした。だから、虫送りも、害虫の駆除という現実的な目的ではなく、農民の楽しみの1つだったと考えて良さそうです。

86歳の栗原さんが、田祭り正月と呼ばれた頃の虫送りの様子を話してくれました。

「”飛んで火にいる夏の虫”の言葉通り、松明には虫がよってきますよ。でもそれで虫を殺せるわけではない。南山田の場合は、村境の早淵川で松明を集めて燃やし、いっせいに火を消して隣村に虫を送りこんでしまうんです。送られた村は迷惑ですよね。でも、その村も次の村に虫を送り込んで、最後は海でした」

こんな風習も昭和15(1940)年で、いったん途絶えてしまいます。戦争にとられる村人が多くなり、田祭り正月どころではなくなったからです。

栗原・斉藤・岩崎さんの記憶によれば、南山田では戦争が終わって2〜3年後の昭和22年と23年にも虫送りが行われました。小さかった岩崎さんが笛や太鼓の音につられて見に行こうとしたら、父親に「子どもが行くようなものじゃない」と言われたそうです。斉藤さんも「煮しめや天ぷらを食べた覚えがあるけど、松明など持たせてもらえなかったなあ」と思い出してくれました。本来の虫送りは子どもが参加するような行事ではなかったことが、わかります。

次に南山田で虫送りが行われたのは、昭和30年です。南堀貝塚を発掘するために、三笠宮殿下が南山田にいらっしゃいました。その日、7月22日が、たまたま虫送りの日にあたっていたので、農協組合長の伊東真一さんが、殿下に虫送りをお見せしようと提案。

ところが、前の虫送りから7年。南山田ではお囃子をやる人もいなくなり、大棚の青年団が助けてくれたそうです。でもこの時1回だけの虫送りでした。

左写真は、虫送りをご覧になる三笠宮殿下(前列真ん中)。故伊東真一さんに見せていただいた写真をスキャンしたものです。

今のような状態で復活したのは、昭和51(1976)年7月。すでに、ニュータウンの工事が始まっていて、田がなくなるのは時間の問題でした。こんなときに、時代にそぐわない虫送り復活を望む声は、住民からは上がるはずがありません。

復活を強く望んだのは、横浜市の教育委員会だったのです。文化財課の川口さんは、ます大棚に声をかけましたが、殿下にお見せした虫送りから20年以上経っているうえに、中心になる人がすでにいなくなっていました。

次に声がかかったのが、南山田の栗原さん。

「川口さんは、伝統行事を残す重要性を熱心に話すんですよ。最後は説得に負けて、復活しようということになりました。何度もわが家に来て話し合いを重ねたものです」と、栗原さんは昨日のことのように話してくれました。

復活1回目の虫送りは、NHKTVの「明るい農村」で全国に放映され話題になりました。

復活翌年には、無形民俗文化財に”認定”。

「当時は横浜市の教育文化ホールに認定された団体が集まり、”民俗芸能大会”が行われたんです。南山田からもバスをチャーターして参加したんですよ。舞台の上では火が使えないから、懐中電灯などで工夫しましたけど(左)」

平成17(2005)年には、”認定”から”指定”に格上げ。民俗文化財としての価値が、さらに認められたことになります。

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