都筑区加賀原2丁目にある京セラ株式会社(本社は京都市伏見区)の横浜事業所(左)を、4人で訪問してきた。区の南部に位置する加賀原は、どちらかというと住宅地である。その中で7階建ての京セラビルは、ひときわ目立つ。

このビルで働いている従業員は、関連会社も含めおよそ1,500人。毎日150人ほどの外来者もある。訪れたときも、訪問者カードをつけたビジネスマンが大勢いて活気にあふれていた。

京セラは、稲盛和夫氏(現名誉会長)が1959(昭和34)年にファインセラミックス専門メーカー「京都セラミツク株式会社」として創業。従業員わずか28名の町工場だった。

創業から半世紀弱の今、京セラを含めたグループ会社184社、グループ従業員61,468名(2006年3月末現在)の大企業に発展した。海外にもたくさんの拠点を持ち、グローバルに展開している。事業は、ファインセラミックス関連以外に、電子デバイス関連、機器関連と多岐にわたっている。

横浜事業所を開所したのは、1995(平成7)年3月。東京にある中央研究所が手狭になったので、ここに拠点を移した。横浜事業所は、ケータイの開発設計や通信技術の基礎研究をしているので、以下ケータイを主体にレポートする。

所長の篠さん、機器研究開発本部の中島さん、総務部の安藤さん・鈴木さんの4人が、レポーターの質問に、真摯にそして本音を交えたトークで応対してくださった。




ケータイの開発設計→製造→販売

地下の無響室・電波暗室屋上の諸設備を、特別に見せてもらった。屋上にはケ-タイやPHSのアンテナなどが林立し、別世界に迷い込んだ気がした。屋上からは360度の展望が可能だ。区内はもちろん、ランドマークタワーなど「みなと横浜」も遠望できる。

左の無響室は、音が反射しない状態に作ってあり、本来の音質を調べる時などに使う。

何人もの技術者を経て開発設計されたケータイは、品質試験の後に北海道の北見工場で作られる。ここで作られた製品は、KDDI鰍ノ納められ、全国のauショップ等で販売される。

この他、中国の貴州省、アメリカのカリフォルニア州にも工場や開発設計の拠点がある




ケータイの不思議

ケータイとPHSの日本での人口普及率は8割近いという。しかし、携帯電話事業がスタートした1987年には、利用者はごく限られていた。10年前の1997年でも、契約者数はおよそ3000万件にすぎなかったが、右肩上がりで増え続けた。

固定電話さえ珍しかった頃に子供時代を過ごした私は、電話機能だけでも驚くが、メール、カメラ、音楽、ゲーム、テレビを視聴できるワンセグ、お財布など、進化はとどまる事を知らない。

「こんなに小さなもので、これほどの事が出来るなんて、不思議でならないんです」と思い切って話してみた。「私たちだって不思議です」と皆さんが笑いながらおっしゃった。


専門家だから不思議でもなんでもない筈だが、気遣いをしてくださったようだ。ヒミツは、プリント基板に配線された約1000点の電子部品にあるらしい。上写真の基盤は、横浜事業所のショールームに展示してあり、詳細な説明もついている。


ショールーム

ショールーム(左)は、1階ロビーにあり、誰でも自由に見学できる。専門的な展示以外に、ケータイの機種も時代ごとに展示されている。少し前の機種なのに「なつかしい〜」という言葉が思わず口から出た。

ミリオンセラーのW44KやワンセグケータイW51Kのなど、ヒット商品も展示してあった。W51Kは、ワンセグ対応ながら厚さ20ミリの薄型。

ほかにファインセラミックスを使ったボールペン、刃物類、宝飾品の「クレサンベール」なども展示してある。


ケータイを分解

都筑区には、学校と地域が連携して教育をする「つづき博士倶楽部」という制度がある。区内の事業所が、小中学校に出向いて、専門分野の出前講座を行う。

「地域の企業・施設訪問」では、「6回の崎陽軒」「16回のいであ」で、博士倶楽部の授業を取り上げた。

京セラは、この制度に毎年協力している。平成18年度には、中川西中・茅ヶ崎中・川和中の3校で出前授業を行った。

1月に中川西中で行われた「携帯電話について」の授業(左上)を、見学してきた。今回の取材にも応じてくださった機器研究開発本部の中島さんが、中学1年生相手に、ケータイの歴史や仕組みを図表を使って説明していた。

ハイライトは、各グループで1台のケータイを分解する作業である。左写真のように、10数点に分解するのは、簡単なようで難しい。ドライバーも特殊だし、薄いへらを差し込むなど、コツのいる作業だが、中学生は嬉々として取り組んでいた。

博士倶楽部のような制度は、どこの市町村でも行われているわけではない。都筑区の子供たちの幸せをつくづく感じだ。

出前授業でも地域に貢献しているが、他の機会でも地域住民との交流を心がけている。8月第1週の土曜には、事業所で納涼大会を開いている。楽しみに待っている住民が多く、4,500人も集まる。加賀原7自治会の会長さんとの懇親会も、年に2度開いている。近隣と良好な関係を保ってこそ、地域で仕事ができるという考えが根底にある。


京セラフィロソフィー

所長の篠さんが「食堂もぜひ見ていただきたいんです」とおっしゃる。社員食堂を見る機会などめったにないので、二つ返事で食堂へ。

左写真は「花粉症予防メニュー」。他にもレストラン顔負けのメニューが豊富に揃っている。「冷凍食品は使わず、身元がわかる新鮮な食材を使っています。従業員の健康な身体、それには食事が大事ですから」ということである。

交通事故で怪我をした社員への気遣いなど、篠さんの言葉の端々には、社員の健康や幸せを願う気持ちがあふれていた。

「なぜ従業員をそこまで気遣うのか」という疑問は、「京セラフィロソフィー」という青色の手帳を見せてもらったことで氷解した。

京セラフィロソフィーは、京セラの企業哲学のことだが、創業者稲盛和夫氏の哲学でもある。「人の心をよりどころにして会社を経営していこう」と町工場の時に決心。それ以来一貫して「人間として正しいことを正しいままに追求する」という基本姿勢を貫いてきた。

同じようなことを社是にしている企業は多いが、京セラの場合は「京セラフィロソフィー」の手帳を全員が持ち、毎朝の朝礼で内容を確認している。研修会も開かれる。

ケータイの不思議に少し近づけたことも成果だが、創業者の企業哲学を実践している会社を訪問できたことが大きな収穫だった。(2007年4月訪問 HARUKO記)

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