関家の句碑

   
国の重要文化財に指定されている関家住宅は、都筑区勝田町にあり、22代当主は関恒三郎氏である。

関家の先祖は、関加賀守といい、北条氏に仕えた土豪で、江戸時代世襲の勝田村名主で、邸内には1312年(応長2年)の板碑がある。

1961(昭和36)年に横浜国立大学が行った調査で、関家は関東地方で最古級の住居だとわかった。主屋は、木材の加工痕や構造などから、17世紀前半の建築だと考えられている。
1966(昭和41)年に主屋が、1978(昭和53)年には書院表門敷地が、国の重要文化財に指定された。

関家住宅は原則として非公開

敷地の北側には、旧中原街道が通っている。中原街道は、東京の虎ノ門と平塚市の中原を結んでいた街道で、江戸時代初期は、東海道より整備されていた。徳川家康の江戸へのお国入りは、この中原街道を使った。
この辺りは、鷹狩りの場でもあったので、関家は、将軍の休憩所としても使われた。

所在地:都筑区勝田町1220

長屋門の手前左右に三基の句碑があり,関篤童句碑は右側にあり、1957年(昭和32年)氏の古希を祝って建立されたもので、建立には飯田助夫氏(小机本法寺に句碑)や前田薫石氏(緑区北八朔邸内に句碑)などの俳人仲間の名がある。

      <光曜庵篤童>

”邯鄲や心見極む我が耳に” 

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      <篤童主人>

松の根元に往時あった巨木の松を詠んだ句


”和賀門や巨松植ゆれば風光る”



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       <関恒三郎>

長屋門左側には、当屋敷の保存修理を記念した22代当主関恒三郎氏の句碑がある。

”和賀やか多修復な里て風薫る”




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<交通>

●市営地下鉄「センター南」から市営バス88
  系統「勝田消防署前」下車3分

●市営地下鉄「仲町台」から徒歩25分








<関家関連>
https://www.city-yokohama-tsuzuki.net/station/kigyou/sekike/

参考文献:横浜の句碑(古往今来) 著者/中島 邦秋
      :つづき交流ステーション 「地域の企業・施設訪問29回関家住宅と古民家」
        (2007年12月・2008年1月訪問 HARUKO記)
       :「句碑はつぶやく 横浜の文学碑」(横浜市教育委員会)
       :「市民クラブ116 横浜・歌碑と句碑のある風景」(横浜市市民局広報相談部広報課)
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